第1章 ”罪”との向き合い方

こんにちは、ムギです。

今回は「罪と社会」をテーマにお話しします。

”罪”とは何か。

一般的なものを挙げると暴行・窃盗・傷害・詐欺・強姦・殺人・自動車運転過失致死傷等でしょうか。それを誰に対して、誰としてどこまで関わったか、何を使ったか、衝動的か計画的かなどで詳しい罪状が分類されます。

これらの罪に対し日本の刑法は「死刑、懲役、禁固、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする」と定めています。罪の分類や実際の状況を考慮してこれらの罰則から適当と思える判決を裁判所が下します。

これらの罰則があるに関わらずなぜ人は”罪”を犯すのでしょうか?そもそもなぜ”罪”と呼ばれる行いをしてはいけないのでしょうか?

「法律で決められているから」というのがまさしくの答えです。そもそも刑法は「人々が安全・安心した暮らしを営めるため」に存在します。

では、「法律」がなければ人々はこの”罪”を平気で行うのでしょうか?性善説か性悪説かで考える人がいますが、歴史を考えれば「法律」で取り締まることの必要性は見えてくるでしょう。

しかし、それでも「なぜ罪を犯したのか?」という問いに対しては法律は答えられません。

事件が起きれば必ず聞かれるのは「犯行の動機」です。それはその加害者の主張です。

しかし本来もっと考えるべきは、罪を犯すまでに至った「”彼”を取り巻く環境」にこそ目を向けなければなりません。家庭環境、金銭状況、職場環境、知人関係等。生まれながらの悪人もいなければ、生まれながらの善人もいません。

貧しさゆえにパンを盗んで抑留されたジャン・ヴァルジャン。殺人の動機について「太陽のせいだ」と答え、自ら破滅へ追い込んだムルソー。あらゆる罪を犯してもたった一つ「蜘蛛を踏まなかった」という善行をしたカンダタ。金貸しの老婆殺害を見られたことでその妹まで殺害してしまったラスコーリニコフ。

フィクションの世界でも数多くの罪人がいてそれぞれの背景が語られますが、ノンフィクションの犯罪では語られるのはほんの一部。

罪を犯した者の中には「そうするしかなかった」と言う人もいます。そこまで精神的に追い込まれ、その選択肢しか考えられなく程まで思考が狭くなってしまうのです。

そういった背景を考えれば、加害者だからといって制裁といって嫌がらせをしたり、関係のない家族まで被害を及ぼす人などいないはずです。

「罪を憎んで、人を憎まず」

孔子の有名な言葉ですが、これのなんと難しいことか。もともと「罪」ではなく「其の意」となり、「悪いことをしようとする気持ちは憎むべきだが、その人自身を憎んではいけない」という意味だとか。

その意味を理解するたのに必要なのは”想像力”です。

「この人は何故こんなことをしたのだろう?」「周りは本当に気づけなかったのだろうか」「何とか救ってあげることはできなかったのだろうか」

この想像力を無視すれば、知らず知らずの内に他人を傷つけ、制裁のようなことをする人になり、はたまた自分自身が加害者になってしまいます。

皆が皆強いわけではない。

それを考えることから始めてみませんか。


関連記事「何が人を「レ・ミゼラブル」にするのか?」

参考文献

『異邦人』カミュ著

『蜘蛛の糸・杜子春』芥川龍之介著

『罪と罰(上・中・下)』ドストエフスキー著

『加害者家族』鈴木伸元著

投稿者: 麦ブログ

介護施設の事務員として働いてます。現在行政書士資格取得のため勉強中。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください