議論は”勝ち負け”ではない

こんにちは、ムギです。

今回は「議論において大事なこと」をテーマにお話しします。

会社にせよ国や行政にせよ、多くの人が集まれば多種多様な意見があふれ、ときに対立します。いざこざばかりの集団は足の引っ張り合いばかりで前進せず、分裂・崩壊してしまいます。

そうならないよう方針やものごとを決めていくためのプロセスこそ、今回のテーマでもある「議論」になります。


まず、「議論」とは何でしょうか?似たような言葉で「討論」、「対話」などがありますが、どう違うのでしょうか?まずはその言葉の意味を整理しましょう。

議論(ディスカッション)・・・互いの意見を述べて論じ合うこと。より良い結果を導くために行う。
討論(ディベート)・・・ある事柄について意見を出し合い、論じ合うこと。勝敗をつけることが目的。
対話(ダイアログ)・・・結論を必要としていない話のこと。参加者の目的は相互理解を深めること。

つまり議論とは、お互いに話し合うのは共通ですが、討論のように勝敗をつけることが目的でなく、対話とは違い結論を必要とすることがポイントになります。

立場や信条の異なる者が全員同じ意見になるなんてことはほぼありえません。その中で、全員が納得できる目標や方針を定めそれぞれの役割分配を行う、つまりは”折り合い”をつけることが必要となります。

一番の目的はその参加者、集団にとっての最大多数の幸福の追求。企業にとっては顧客、そして働き手の幸福の追求。それこそが議論の上での大前提となります。

そのうえで、「議論あるある」として、議論をする時に困ることを挙げていきます。

  • いつも決まった人しか発言しない
  • とにかく自分の意見を言いたくて話が長くなったり、人の話に割り込んだりする
  • 各々が言いたいことを言うだけで話もよく脱線し、結局何も決まらないで終わる
  • ただ資料を読み上げるだけで、議論というより報告会や勉強会のようになっている。また、一方的に「こうしてください。ああしてください」という指示・命令のみで意見を述べる機会がない
  • 議論に参加しているが意見を求められても発言せず、メモなどもとらず、ただ資料のみを読んでいるだけ

他にもいろいろ困った議論があるかもしれません。もしあればコメントに残していってください。

以上に挙げたような内容は、議長やリーダーの手腕で大体防げます。

少ししゃべりすぎる人には静止を求めたり、まったく発言していない人に話を振ったり、話が脱線したときは注意して戻したりすることです。

もちろん議長自身もきちんと「ここは議論の場である」ことを十分に理解し、ただ言いたいことをいうだけの場にならないようにすることも大事です。

また、批判しかしない人というのもよくいます。批判自体は必要な意見ですが、それだけでは建設的な議論にはなりません。批判や反対意見を言うときは代替案や折衷案も一緒に提示しましょう。

さて、議論をする中でどうしても相手と話が噛み合わないことがあります。皆さんがこれまで見たことある国会中継や記者会見の場面を振り返ってみてください。

相手の質問を理解していないのか、はぐらかしたいのか、微妙に論点がずれていると感じることがあります。

国会や記者会見などでは事前に質問事項も通知されることが多いので、余程突発的なものでない限り、返答もある程度考えられているはずです。それなのに話が噛み合わないのはなぜでしょうか?

よく言われる読解力の問題や、わざとはぐらかしているんだという意見もあるかと思いますが、今回はそれは一旦除外して考えたいと思います。

話が噛み合ってない場面を振り返ると、ロジック(論理)が聞きたい人と持論や理想を言いたい人との対面になった時に噛み合わないことが多いと感じます。

違いを明確にするために以下の2つのタイプに分けます。

<論理型>
思考‐具体的・論理的思考
対象‐現実・事実・制度
主な言葉‐「もし」「なぜ」「いつ」「どうやって」などの因果質問
<理念型>
思考‐抽象的・価値観的思考
対象‐理想・倫理・価値
主な言葉‐「あるべき」「目指すべき」「我々の信念」など

これらは議論や対話などを考える上で衝突しやすい両者になっております。具体的なやり取りを見てみましょう。


論理型「もしこの政策が実行されたら、◯◯のような問題が想定されますが、その場合は誰がどのような対応・判断をするのでしょうか?」

理念型「個々の仮定の話をしても意味がありません。そもそも我々は安心安全を大前提に進めており、そこにご心配は無用です。この政策に対し、一人一人が責任を持って行動すべきと考えています。」

論理型の人は具体的なリスクや実務を聞こうとし、そこに抜け穴・不備がないかを確かめようとしています。しかし、理念型はその具体的なことに対しては答えず、抽象的な言葉でどのようにすべきかの理念を話しています。

理念型も別に悪意があってそのように答えているわけではありません。実務は現場がその理念や目標を踏まえて考えて動くべきことであり、それを上から「こうしろ、ああしろ」というべきではないという考えのこともあります。特に上の立場の人が聞かれた場合などは、下手に実務的なことを話すと却って問題を追求されることもあるので、あえて濁すという判断も間違いではないでしょう。

しかし、理念や理想だけでは集団が必ずしも最適な行動をするとは限りません。それを体現しているものとして提示したいのが、多くの会社で義務化されているBCP(業務継続計画)です。

災害対策や感染症対策は元々は「安全第一」「人命優先」など理念が先行していました。しかし実際に問題が起きたとき、会社ごと、さらには会社内ですら各々が別の行動を取ってしまい、より事態が複雑化・拡大化するということが起きました。それを防ぐために、やはりそれぞれの会社ごとでBCPを作成し、体制作り、万が一のための備品の確保や避難場所の明示、責任者を決め緊急連絡網を作成しておくなどの具体的な対策を決めるようになったのです。

こういった不足の事態というのは「IF(もしも、仮定)の問題」が多くあります。実際に起こった時に考えようでは現場が混乱します。そのために論理型の人は事前に対応策を確認したい、今のうちに不備を指摘しより強固で確実なものにしようとしているのです。

論理型と理念型。どちらが良い悪いではなく、どちらにも一長一短があります。

論理型と理念型の対立を緩和し、お互いに理解し、建設的な議論にすればいいのか?

以下に話し合いのためのポイントをいくつか挙げていきます。

1.相手のスタイルを認識する
 「この人はロジックで話すタイプか、価値観・感情で話すタイプか」を見極めます。そこに合わせて言葉を選択します。

<論理型の対応>
2.具体と抽象を”行き来”させる質問をする
 理念から現場(その理念を現場に落とすためにはどういう形が考えられるか?)、現場から理念(その背景にある思想・価値観は何か?)という往復を通じて、両者の視座を引き上げる議論を行います。
 論理型は言わば両者をつなぐ橋渡し役になります。
・「その方針を現場で実行するとしたら、どのような障壁があるとお考えでしょうか?」
・「その理念を実現するために、何が最も優先されるべきでしょうか?」

3.「定義」や「前提」・「議論の目的」を明示して対話の土台を作る
 議論が噛み合わないときは、使用している言葉の定義や前提の違いが原因となっていることが多いです。
 まずは議論の目的・定義・前提をすり合わせ、対話の基盤を築きます。
・「この場合に”安定”とは、何を指しておられるのでしょうか?」
・「”成果”とは、数値的な達成でしょうか?それとも関係構築のような定性的なものも含みますか?」
・「今日は課題の方向性を共有することが目的ですか?それとも具体的な対応策まで話し合うことが期待されていますか?」

4.あえて”翻訳”役に回る
 理念型が理念を語るとき、論理型がそれを実務的に翻訳することで、現場にも伝わりやすくなります。
 理念型「人材を大切にしましょう」
 論理型「それは評価制度や育成プランをどう変えることを意味しますか?」
 →「具体的には、業務量に応じた担当制の見直しと、半年ごとの個別面談の仕組み化が考えられますね」
 
 理念→実装の道筋を見せることで、議論に実効性が生まれます。

<理念型の対応>
5.目的意識の転換:「勝つ議論」から「解決の議論」へ
 理念型は無意識に「説得」「優位性の確保」に向かいがちです。
「私は正しい」ではなく、「今の私の考えはどこまで妥当か?」と自問し、自分の意見が通らなくても「最善策が見つかるならそれで良い」と思考を変換します。

6.問いの立て方を学ぶ
 持論を話す前に「他の人がその問題をどう見ているか?」を聞いてみる癖をつけます。「なぜそう考えたのか?」「前提は何か?」「どんなリスクを想定しているか?」など、相手の深層理解に努めます。

7.自分の主張を構造化してみる
 理念型の主張は感覚的だったり情緒的な部分が多いです。自分の主張を「結論→理由→具体例」で整理する習慣をつけます

以上のようなことを守るだけでも、対立的な問答からお互いに寄り添おうとしている議論になるはずです。

特に「勝つ議論」から「解決の議論」へという目的意識は”議論”の大前提でもあります。

論理型は相手を追求しようとするあまり、想定してもしょうがないような仮定の質問をしたり、「YESかNOか」「賛成か反対か」をはっきりするよう強く求めたりしていまいがちです。これでは尋問になってしまいます。

議論において「0か100か」の答えを求めることがゴールではありません。相手によっては「一部賛成」「部分的に反対」など単純に二極化できない話がほとんどです。ではなぜ大々的に賛成できないのか、その引っかかっているところはどこかを詰めていくことに議論の意味が存在します。

議論は賛成派と反対派の”勝ち負け”ではないのです。

強いて言うならば、大なり小なりあれど「全員がそれなりに勝ち」という答えを求めていくことが目的なのです。もちろん「全員が負けている」という議論は間違っています。

より良い議論をするためには、議論に参加する一人ひとりが議論に望む姿勢やモラル、感情のコントロールを身につけることが必要になるのです。

投稿者: ムギ

介護施設の事務員をやってる30代男です。商業高校卒業後、調理師専門学校入学、調理師としてホテルのフランス料理レストランに勤務。その後、地元のレストラン、漬け物工場、回転寿司屋、ステーキ屋と働き現在の職に転職しました。現在は介護福祉士の資格取得のため勉強中です。

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