他人の経験も”明日は我が身”

こんにちは、ムギです。

今回は「本当に賢い人はどう情報を得ているのか」をテーマにお話しします。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ」

ドイツの鉄血宰相ビスマルクの格言として有名なこの言葉。原文を見るともう少し詳しい内容が分かります。

Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen.

Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

「愚かな者は自分の経験から学ぶと信じているばかりだ。私は最初から自分の過ちを避けるために、他人の経験から学ぶことを好む」

ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815年~1890年)

つまりは「何かを判断するときに、自分の経験を頼るのではなく、他者の経験に学ぶことでより良い判断ができること」を意味しています。

では他人の経験を学ぶとはどういうことでしょうか?

具体的に考えられることは、以下のようなものでしょうか。

  • 他者の体験談・考えを直接聞く
  • 講演会やセミナーに参加する
  • 本を読む
  • 歴史(先人達の経験)を勉強する
  • ニュース、新聞などから国内・国外の情報・情勢を知る

こういった情報収集や学ぶ際に気をつけるべきは、どこから(誰から)情報を得るか・学ぶか、つまりは”情報ソース(一次情報元)”が肝心となります。

例えば、何か分からない言葉を聞いたときすぐに「ググる」と思いますが、検索の上位に現れるのは大抵Wikipediaでしょう。

Wikipediaはオンライン百科事典として認知され、何かあればwikiを参照をする方も多いでしょう。かくいう私も参照したことがあります。

Wikipediaの特徴は「基本的に誰でも編集することができる」点です。そのため紙の百科事典よりも最新情報を取得でき、また、様々な専門家やその事案に関わる人により編集されるので、詳細情報が常に追記される一方、誤りがあればすぐに訂正されるといったことが魅力でした。

しかし、Wikipediaは百科事典における一番大事な”信憑性”を疑うような問題が起こっています。昨今で言えば、織田信長に仕えたとされる黒人男性「弥助」に関する記事が問題になりました。※この問題を知らなかった方は、「アサクリ問題」「弥助問題」「黒人奴隷問題」「トーマス・ロックリー問題」に関する動画を最後に参照しておりますのでぜひ見てください。

「そんなの今更だよ、昔からWikipediaは信用なかった」と鵜呑みにするのが悪いという意見もあるでしょう。しかし、現状多くの人がWikipediaの情報を鵜呑みにしています。

「これって嘘っぽくないか?」と気づくには、その事柄に関してある程度の知識がないと気づかず、そのある程度知識がある人はそもそもその調べたい事柄についてWikipediaは使うことは少ないと思われます。むしろWikipediaを使うのは自分にとって全く分からない事柄・言葉の概要を知りたいときではないでしょうか?

だからこそ、Wikipediaへの責任は重いと私は主張しているのです。Wikipediaの管理者だけの問題ではありませんが、こういった問題が起きた時にきちんと対応できなければ、Wikipediaはない方がいいと言われてしまいます。

こうした事例はWikipediaだけでなく他のサイトでも、指摘されていないだけで修正もされないまま残っている誤情報は数多くあると考えられます。また、海外の記事も見られて便利な世の中になっている一方、自動翻訳のミスや翻訳者の読み取り方により、語弊ある表現になってしまうこともあります。

ネット上にあふれる誤情報にすべて悪意があるとは限りません。しかし、逆に悪意がないものほど、それを見た人も信用しやすいというのも事実。私も含む情報発信する人は気をつけないといけません。

「やはりネットの情報は信用できないじゃないか」という意見が聞こえそうですが、オールドメディア(テレビ・新聞)の方が信用できるかと言うとそうとは限りません。少なくとも日本のテレビや新聞では一切報道されていないが、もうネットや書籍などで情報発信されていることもあります。※こちらも参照文献、動画を最後に示しておきます。

では、書籍などの紙媒体の方が信用度は高いのか?残念ながらそれも疑わしいと思う出来事が起こっています。

先ほどの「弥助」「黒人奴隷」に関する問題も日大のトーマス・ロックリー准教授の出版した著書が大元になっています。さらには「Japan’s Holocaust」という本が出版され、「日本にホロコーストがあったんだ」と思っている海外の方が確認できています。

教授・教員・学者など、本来であれば知見のある専門家という肩書きのはずなのに、なぜこんな事実なのか疑うような発言や著書、論文を出してしまうのか?彼らは自分達の発言が世界に対してどのような影響を与えるのか、理解しているのでしょうか?

もちろん事実であれば、その発表に対して意味はあります。しかし問題になっている本の内容を見てみると、一次資料のない部分を自分の空想で埋めた、いわば”フィクション”ではないかと思えることが多くあります。ある種の学説として捉えるにしても、少ない根拠を結論ありきで無理矢理解釈したように見えてならないのです。

しかし、どんなに突拍子もない内容でも、新聞やテレビ、公営放送、省庁まで関わってしまえば多くの人がまさにそれが真実だと捉えてしまいます。

特に人は「やっぱりそうか」「こうするだろうと思っていたんだ」「また◯◯が何かしたのか」という一種のバイアス(偏見)があった状態では物事を正しく判断するのは難しくなります。それが同じ思想・偏見の人たちに伝わり、メディアやSNSを通じて拡散される。そして、何も知らない人たちが疑いもせず誤った情報を信じてしまう。

「悪貨が良貨を駆逐する」、まさに誤った情報が真実を上書きし、”これこそが正しいもの”として認知されてしまうのです。歴史はこうやって上塗りされていったのでしょう。

そう考えると、歴史や世界、政治の情報や知識を得れば得るほどむしろ”愚かに”なってしまう。そう思えて仕方がないのです。

しかし一方で、きちんと情報収集し、周囲の風潮に流されずに正しく物事を判断している人も大勢いる。一体何が違うのでしょうか?

投稿者: 麦ブログ

介護施設の事務員として働いてます。現在行政書士資格取得のため勉強中。

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