その”善意”の向かう先

こんにちは、ムギです。

今回は「独りよがりの”善意”になっていないか」をテーマにお話しします。

カミュ著の『ペスト』という作品は感染症の流行だけでなく、世界で何か不穏なことが起きる度に話題になる作品です。

それは『ペスト』という作品が疫病に挑む医師を主人公にした医療ドラマだけにとどまらないからです。不条理な出来事に直面した様人々の様々な心情、行動、そしてその変化をみることができます。

自分がかかるかもしれないと恐怖する者。その恐怖に負けず、支援する側にいく者。ただただ、神に祈りをささげる者。この多くの人が苦しんでいる状況を快く思う者…。

危機的状況下こそ、その人の人間性が顕著に現れるものですが、それでも多くの人々は現状よりも良くしようと努めるのではないでしょうか。

そういった時に気を付けるべきことは”偽の善意”に騙されないことです。

「藁をもつかむ」ような状況に陥ってしまっては選択肢など考えられないかもしれませんが、そういう時こそ甘いだけの誘い文句には釣られないようにしたいものです。それはもちろん、危機的状況下に関わらず、危機的状況が回復している時や、自分がその不条理と直接関わりがない時も同様です。

その際に見極めとなるのが、相手の”善意の向かう先”を見届けることです。そしてこれは、自分自身の善意に対しても同じことが言えます。

例えば募金。災害や戦争、感染症の流行が起きれば必ず募金を求められますが、皆さんは自分が出したお金が本当にそういった支援のために使われているのか確認していますか?大手企業が行っているから大丈夫、どこかのNPOっぽいところが行っているから大丈夫と深く考えず募金に入れている方が多いのではないでしょうか。

こういうと募金がしづらくなる、金額が減ってしまい被災地が困ると考える人も多いと思います。しかし、ただお金を送ればいい、物資を送ればいいというのは時として間違っているということも知るべきではないでしょうか。

例えば大手衣料品店などはいらなくなった洋服を発展途上国に寄付できるようなボックスが置いてあることがあります。しかし、そういった洋服の寄付がアフリカで問題になっていることをご存じでしょうか?

海外から集まった洋服の量があまりにも多く、その大半がゴミになってしまう、しかもそのゴミ処理も追い付かなくなっている状況があります。また、そういった寄付品で洋服がまかなえてしまうため、現地の繊維産業が衰退してしまうなどの経済的な問題まで起きています。(詳細は一番下の参考記事を参照してください)

自分が良かれと思ってしたことが相手を苦しめている。逆に言えば、自分がもらっても困るものを相手から強引に、止めどなく送られてしまうような状況です。これは本当に”善意”と呼べるのでしょうか?

被害者救済や弱者救済の看板を掲げているだけでそこが本当は何をしているか分からないけど良いことをしているような気がしてしまう。ビジネスなら「それはおかしい」と言えることも、そういった大義名分があると批判をしづらい。批判をした自分が批判されるのではないかという気持ちになる。

そして一番救われてほしい当事者が置いてけぼりになっている。そんな活動をしている団体は残念ながら存在します。テレビや新聞を読んでるだけでは本当のことは分かりません。自ら検索し、情報を収集し、分析・評価する努力をしなければいけません。

会社に出資した、株を買ったとなればきちんとその企業の業績を調べます。しかし、これが慈善事業となると疎くなる。

何事も”投資”をしたら”評価”を行う。それがこれからの時代に必要な”善意”だと私は思います。

本当の”救いの手”なのか、はたまた「救ってやってる」なのか。「やってるから良い」で通してきたこれまでの社会を、一度精査する時が来ているのではないでしょうか。


参考文献・資料

Amazon『ペスト』カミュ

寄付が迷惑に?古着回収の知られざる裏側/Forbes JAPAN公式サイト(フォーブスジャパン)

投稿者: 麦ブログ

介護施設の事務員として働いてます。現在行政書士資格取得のため勉強中。

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