こんにちは、ムギです。
今回は「言論と正義の天秤」をテーマにお話しします。
皆さんは以下の言葉を聞いたことがありますか?
ペンは剣よりも強し
(「The pen is mightier than the sword」)
エドワード・ブルワー=リットン卿
これは「言論の力は、政治権力や軍隊などの武力よりも民衆に大きな影響を与える」という意味…と、世間一般的に浸透しています。
しかし、元を調べると少し上記の意味とは違うようです。元はエドワード・ブルワー=リットン卿作の戯曲『リシュリュー』での言葉です。
戯曲の中のリシュリューは17世紀のフランス王国の宰相です。ある時、部下の軍司令官たちが自分の暗殺計画を企てていることを突き止めます。
そこで先程の言葉を言います。前後を含めて紹介します。
「まことの技倆(ぎりょう)の持ち主の手におさまるならば、ペンは剣よりも強し。
見よ、この魔法使いの杖を!ー
それ自体は何の役立たん、無だ!ー
魔法使いの魔法はそれを自在に操る手から繰り出されるのだ。
帝王(カエサル)の力を奪い、これを追い払い、騒がしい大地を息の根を止める魔法は、だ!
だから剣を捨てよ!
そんなものがなくとも国家は救われる!」
Wikipedia「ペンは剣よりも強し」、エドワード・ブルワー=リットン卿作 戯曲『リシュリュー』
リシュリューは、宰相であり枢機卿(カトリック教会における教皇の最高顧問)、つまりは聖職者のため武器を取ることはできません。そんな彼は暗殺を企てる軍の人間よりも上の地位にあるので、軍隊を動かさないよう命令する令状に自分がサインすれば、実質上暗殺者たちを歯向かうことが出来なくなります。だからこの場合、自分を殺そうとする武器よりも自分が持っている”このペン”の方が「力」を持っていると言うのです。
だからあの名言は正確にいえば「(まことの統治をする)政治権力は、軍隊などの武力を押さえることができる」という限定的な意味になります。
しかし、他にも似たような言葉がいくつも現れます。
「智者のペンよりも恐ろしい剣はない」(エラスムス)
「舌は刃より強い」(エウリピデス)
「言葉は剣よりも強し」(アヒカル)
…など
これらの言葉と混ざって、「ペンは剣よりも強し」は現在のような意味となったのかなと私は考えます。
武力を押さえる政治権力が間違った方向へ行かないためには、”国民の声”が大切です。情報操作やプロパガンダなどの政府の情報悪用や、過度な情報規制を始めたら注意が必要です。
だからこそ、マスメディアはもちろん、SNSやネットで国内だけでなく世界の情報がいろんな角度から見られる現代は良い状態なんだと思います。国家が良い方向へ向かうために国民が国家に対し主張する権利は、一つ一つは小さくても、それらが集まれば大きな”力”に成りうるのです。
一方で、SNSが当たり前になったことにより、メディアのニュース、さらにはインフルエンサーの発言の影響力はより大きくなりました。それは、発信する側の責任も大きくなったということでもあります。
事実を発信するのはもちろん、変に話を盛ったり、自身の思想(または自社の思想)を通して話を曲解したりしない。誹謗中傷をしない。間違った情報を流したら謝り訂正する。イラストや音楽の「表現物」にしても、誰でも見ること・聴くことがあることを理解した上で発表するなど。
そういった情報リテラシーが大事になるのは、情報が社会に与える影響力が大きいという理由だけではありません。きちんとした言論が埋もれ、結果的に情報の価値が矮小化してしまう恐れがあるからです。それはネットやSNSもオールドメディアも同じです。
政治、武力、司法、メディア、そして国民。
どれが過度に影響力を持ちすぎても問題が起こります。ここに共通の理念としての”正義”と”パワーバランス”を見つけることが必要なんだと私は思います。
司法、裁判の公正さを表す象徴とされる「テミス」は剣と天秤を持つ正義の女神。
”天秤”は正邪を測る「正義」、”剣”は「力」を象徴します。
「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、正義と力が法の両輪であることを表しています。
司法や政治、自衛隊や警察などに携わっている人はもちろん、それらに関わっていない多くの人に刺さる言葉ではないでしょうか。
