こんにちは、ムギです。
今回は「『罪と罰』の救済」をテーマにお話しします。
これまでの章で紹介してきたドストエフスキー著の『罪と罰』。今回の記事では、前半は『罪と罰』の内容紹介、そして後半から現代社会の問題についても考察していきたいと思います。ネタバレを含みますので予めご了承ください。読んだことがある人、難しい本だから中身の部分に触れても気にしない人は読み進めてください。
※この先の記事は絶対3分で読めません。時間がある時に読むか、Ⅰページずつ読んでください。
ペテルブルグの貧しい大学生ラスコーリニコフ。彼はその貧しさと自身の「ある考え」から金貸しの老婆とその妹を殺してしまいます。彼に「罰」は下るのか、誰が下すのか。そして彼の家族や彼らに関わる人物達のそれぞれの「罪と罰」とは何か。
ポルフィーリイとの負けず劣らずの心理戦はこの作品の見所でもあります。ラスコーリニコフにも自信があり、なかなか罪を認めませんが、ポルフィーリイは正義と情熱で彼を追い詰めていきます。
どんなに平静を装っても彼の精神がおかしくなる様はその内本人も自覚するまでになります。そしてそんな彼に、神に赦しをこうよう諭した人物がいます。
それが作中でも重要人物の一人、ソフィヤです。
彼女は貧しさ故に家族のために娼婦をしています。
彼女の父は官吏でしたが、退職してから堕落した生活を送り、貧困に苦しみます。母はそれゆえヒステリックになり、おまけにソフィヤにはまだ小さい妹と弟が3人います。
周りの人達からは哀れな家族と同時に卑しく見られています。ラスコーリニコフも彼女の家族、そして彼女自身を”哀れな人”と見ていました。しかし、彼女と接していくなかで、一心に神を信じる姿、ぶれない正義をみて心が揺らいでいきます。
なぜ不幸な境遇でも神を信じ、人を愛せるのか?なぜ、自分にもこれほどやさしいのか?
そんな彼女がラスコーリニコフに対し聖書の一編を読む場面があります。『ラザロの復活』です。
「私は復活であり、命である、私を信じる者は、たとい死すとも生き返る。また、生きて、私を信じる者は、永遠に死ぬことがない。あなたはこれを信じるか。」(イエスがマルタに対して言った言葉)
始めはそんな彼女の考えを否定していたラスコーリニコフでしたが、いつしか彼女に惹かれ、思い続けるうちに彼はついに自分の行った”罪”を認め、”罰”を受け入れるのです。
彼女のやさしさは彼を苦しめました。しかし、そのやさしさによって彼は救われたのです。著者はおそらくこれこそを”復活”と表現したのではないでしょうか。
この結末に、誰もが納得することはないでしょう。立場が変われば、主人公(罪を犯した人物)に対し心から納得することはできない人もいるでしょう。では、罪人を支えたソフィヤも悪になってしまうのでしょうか。(2ページ目へ続く)
