誰の心にもいる”獣”の正体とは?

こんにちは、ムギです。

今回は「不和と暴力」をテーマにお話します。

ほんのいっとき、森とそのほかすべての認識できる場所に、まがいものの笑い声がこだました。

「おまえは知っていたんだな。わたしがおまえたちの一部であることを。ごく、ごく、親密な関係にあることを!何もかもうまくいかない理由であることを。ものごとがこうでしかない理由であることを。」

ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』より

人はどうして誰とでも仲良くできないのか?「誰もが共存できる社会」を理想に掲げながらも、必ずどこかで”綻び”が生まれ、憎しみあいの関係に変わってしまう。

ウィリアム・ゴールディング著の『蠅の王』はまさしく人間のもつ根元的な「暴力性」に目を向けています。

疎開する少年たちを乗せた飛行機が無人島に不時着し、生き残った子供達は救援を待つ間、この大人達がいない世界で自分達のルールを作り楽しく過ごそうとするのだが…

誰もが仲間と楽しく過ごしたい。弱いものは強い者が守らないといけない。自分だけでなく他人のことを思いやらないといけない。

2022年にもなる現代でさえ、「自分達」と「彼ら」を分け隔て、歪みあい、自分達さえよければいいと「彼ら」を突き放し、どこかでは悲しい争いが生まれている。

国や宗教、さらには個人によっても「正義」や「道徳」は違う。

「道徳的論争に直面したら、自分の道徳的本能に助言を求めるとしても、それを信用してはならない」と、ハーバード大学心理学科教授のジュシュア・グリーン氏は著書『モラル・トライブス』で述べています。

「共通の道徳」はどこにもないのでしょうか?

誰かと意見が対立したとき、原初の人たちは「力」で解決していきました。強い者が勝ち、弱いものはそれに従うことでしか生き残れない。

そんなある日、一人の知恵者が彼らの間に立ち「それでは”獣”と一緒だ」と言い、「良い行いとは」を説いていきました。道徳の原型とも言える宗教などの「教え」と呼ばれるものです。

しかしそんな「教え」も場所によって善も悪も違い、宗教でさえ時の権力者によって歪められ、知恵者の教えとはまた別のモノに変わっていきました。

そして国家は国民に守るべき共通のルールとして「法律」を作りました。しかしこの「法」も完璧なものではなく、何度も修正が加えられて現代に至ります。

そういう歴史を辿りながらも、先人達が「平和」を願ってようやく作りあげた国際法が今、どこかで無視され、また「武力」による争いが起きているのです。

現代の力は、それが爆発したら何百万もの命を奪うことができるという「巨大な力」となっています。これは本当に人類の叡知なのでしょうか?それは”一発”拳を直接入れるか、はたまた”一回”ボタンを押すかの違いであり、「それでは”獣”と一緒だ」。

現代の「共存するための道徳」を見つけるのは難しい。しかし、「~しない」ということは言えるはずです。

争いをしない。人を苦しませない。悲しませない。

身近なことでも、不毛な喧嘩が起きそうになったら「上手くやろうとしない」こと。相手をコテンパンにこらしめようとしないことです。思い通りにさせようとしないこと。

「囲師には必ず欠き、窮寇には迫ることなかれ」

『孫子の兵法』の一文です。「包囲した敵軍には必ず逃げ口をあけておき、進退きわまった敵をあまり追い詰めてはならない」という意味です。現代で考えれば”負け”や”引け”、”緩み”や”抜け”もあった方がいいということです。

そもそもバチバチの争いをしている時点で両者とも”敗者”なのだから(こちらも孫子の教えです)、これ以上の敗北・犠牲を増やさないためにどこかで”落としどころ”は必要です。これはビジネスや生活する中での争いでも言えることです。

「大きく負けないために、小さく負けてもいい」

この余裕が、あなたの心にも潜む”獣”に勝つために必要なのではないでしょうか。


参考文献

『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング著

『モラル・トライブス 共存の道徳哲学(上・下)』ジョシュア・グリーン著

『超訳 孫子の兵法「最後に勝つ人」の絶対ルール』田口佳史著

投稿者: ムギ

介護施設の事務員をやってる30代男です。商業高校卒業後、調理師専門学校入学、調理師としてホテルのフランス料理レストランに勤務。その後、地元のレストラン、漬け物工場、回転寿司屋、ステーキ屋と働き現在の職に転職しました。現在は介護福祉士の資格取得のため勉強中です。

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