こんにちは、ムギです。
今回は哲学の分野から「無知の知」をテーマにお話します。
哲学に興味がない人でもソクラテスの名前は聞いたことがあると思います。そして、そのソクラテスが述べたことで一番有名なのがこれからお話しする”無知の知”です。
意味としては「私は知らないということを知っている」ことです。これだけだと「だから何?」と思われますが、肝心なのはソクラテスがこれを語るまでの経緯と「本当の意味で”賢い”とは?」という疑問に対する答えだということです。
ソクラテスについては、彼の弟子であるプラトンの著作『ソクラテスの弁明』に書かれています。ソクラテス自身は著作は残していません。そのためかプラトンが彼の教えを後世に残すために書かれたと謂われています。
その『ソクラテスの弁明』ですが、なぜ”弁明”か?この話はソクラテスの処刑の前日の裁判でのソクラテスの主張を書いているのです。
彼の罪状は「神々を信ぜず、青年を腐敗させた」ことです。これは明らかに不当な裁判です。判決後、弟子達は師であるソクラテスを逃がそうとしました。しかし、これを彼は拒否し、その運命を受け入れました。
ことの発端は、アポロ神殿において「ソクラテスは万人の中で最も賢い」と託宣があったことです。これにソクラテスは疑問を感じました。そして、その理由を探るためギリシャにいる数多くの知恵者(ソフィストと呼ばれる)に問答をしていきました。
弁論の強さが政治的強さに結び付いている時代、ソフィストを論破するソクラテスはこれによりかなり恨みをかってしまいます。一方、その様子を見た若者達はソクラテスを格好いいと思い、ソクラテスが望む望まぬうちにどんどん信者が増えていったのです。これらが先程の罪状に繋がりました。
弟子を増やすこともソフィストを負かそうなんてこともソクラテスは考えていません。ただ、自分の納得する答えを探し、自分が神から与えれた使命を考えていたのです。
そうやって問答を続けているうちに、ソクラテスはある結論にたどり着きます。それは「自分の知恵は実際何の価値もない」ことです。そして、そのことに気づいたからこそソクラテスは最も賢いという神託があったのだと悟りました。
しかし、それをどんなに裁判官に説明したところで納得されません。投票になり、一回目で有罪確定、二回目で死刑判決が言い渡されました。
この理不尽な判決をソクラテスは受け入れました。その時の様子はプラトン著の『クリトン』に書かれています。またジャック・ルイ・ダヴィット作の『ソクラテスの死』で絵画として見ることが出来ます。悲嘆する弟子達とは反面、死の直前とは思えない力強さがソクラテスから感じられます。
さて、「無知の知」の物語を知ったところで、現代の私たちを見てみましょう。
安易に「分かった」「なるほどね」「要するに~てことでしょ」と言っていませんか?本当に”分かって”いるのでしょうか?
大半はちゃんと理解していないように思えます。だからトラブルや齟齬が起こるのです。
しかし、当の本人は分かった気でいます。「分かった」「要するに~」と言う言葉を使った時点で、さらに学習しよう、理解を深めようという意識を止めてしまいます。
本当に賢い人は自分の分からないところを認識しています。だから一つのことをさらに深堀りします。一つの情報だけを鵜呑みにしたりしません。本当に理解した時だけ人に教えます。教え方もその教える人のレベルに合わせて噛み砕いて教えることができます。難しい言葉だけを並べるのは賢そうに見せているだけです。
皆さんもこういった点から本当に賢い人を見極めてください。そして、自分自身も安易に分かったと言わないよう心がけましょう。そうすれば、コミュニケーションやビジネスにおける大半のトラブルを避けることができます。
自分が「無知」であることを認めるには勇気がいります。上司やリーダーになると尚更難しいです。そんな時こそ、ソクラテスの話を思い浮かべて欲しいのです。
賢そうにしている人と問題を起こさないために。賢いと勘違いしている人に負けないために。知識を悪用する人に騙されないために。
本当の賢さは、あなたにどんな時にも負けない知恵と勇気を与えてくれます。

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