こんにちは、ムギです。
今回は「どんな高齢者でありたいか」をテーマにお話します。
人生100年時代と謂われる今日。60歳で定年退職してからも40年近い人生があります。僕自身も現在30歳。これから70年近い人生があります。
その中で、長く生きることよりも、いかに死ぬまで健康でいられるかが重要になってきます。所謂”健康寿命”を伸ばすことです。
では、その健康寿命をどう伸ばすか、死ぬまで元気でいられるかを考えてみましょう。
歳を取ればどうしても健康リスクは高まりますが、その中でも特に気を付けたいものは糖尿病・高血圧・腎不全・認知症です。
ご存じの通り、これらは若いうちからの生活習慣が関わっています。好きなものを我慢せず好きなだけ食べたい。面倒な運動はしたくない。身体が壊れるのは頑張って生きた証し。
そんな風に生きていれば先も短くなるというもの。老後の長い時間を、つらい思いをしながら生きていくことになります。身体は資本。節度ある生活を心がけ、日々身体のメンテナンスを怠らないようにしたいものです。
また、認知症予防にはいろんな人と会うのが一番。今の付き合いも大切にしながら、新しい出会いにも積極的に参加すると良いそうです。そういう意味では、朝のラジオ体操もゲートボールも、運動や認知症予防の面でも最適なんですね。
そして、人と長く付き合うためには、自分のわがままばかり言ったり、人の悪口ばかり言ってはいけませんよね。
「俺の若い頃は~」「私は昔~だった」と自慢する人もいますが、聞いている側からすると「だから何」となりませんか。肝心なのは”今”がどうかですよね。いくつになっても感謝の念と謙虚さは持ち続けたいものです。
身体の融通が効かなくなり、認知能力が低下してくると、どうしても他者の助けが必要になります。それ自体は恥ずべきことでも悲しむことではありません。
しかし、何でもかんでも他人任せだったり、一人で何でもできると思って他人の手助けを拒否ばかりしては周りの人に迷惑がかかります。その辺りが、「他者に依存している」か「共生する」かの違いでしょう。
年老いた自分でも他者に何を与えられるか?「Give and Take」の考えは社会人の間だけの話にしてはいけません。「老害」と呼ばれるのではなく「老師」でありたいものです。
「老師」は中国語で”先生”を表します。学校の先生だけでなく、師匠や恩師のようなニュアンスも感じますね。一つの分野に精通しているだけでなく、人生の先輩として迷っている若者達に適切なアドバイスをするイメージがあります。
僕らの世代のおじいちゃん・おばあちゃんのような戦争の頃の日本の話をしてくれる世代は減ってきています。今のお父さんやお母さんが高齢者になった時は孫に何を語ってくれるのでしょう。
戦後の高度経済成長期の話、バブルで日本が盛り上がっていた時の話。バブルがはじけて経済が低迷した平成。多くの人の命を奪った震災、事故、事件…。
そして自分達の世代がおじいちゃん・おばあちゃんになったら、若い人達に何を語れるのでしょう。何を教えられるのでしょう。
それを考えるのがこれからの課題であり、元気で面白い年寄りになるための準備を今から始めないといけませんね。
