こんにちは、ムギです。
今回は「失敗は成功のもとか?」をテーマにお話しします。
人生において、一度も”失敗”したことがない人なんていないでしょう。ミス、過ち、失言、恥ずかしい体験など、大きいもの小さいもの含めて多かれ少なかれあると思います。僕にもあります。
ただこの失敗が多ければその人の人生に悪影響を与えます。仕事でミスが多ければ勤まりません。家族、友達との約束を間違えれば信用を失います。例え、一人暮らしであっても金銭管理などを適当にしていたらいずれ苦しくなります。
だから少しでも失敗をなくそうと人々は努力するのです。約束を忘れないようメモにとったり、何度も練習するのもミスを無くすためです。こういった積み上げこそが「失敗は成功のもと」と言われる所以ではないでしょうか。
それを積み上げていけば、その人は信用されます。信頼される行程には、必然的に過ちを減らすことが含まれます。ルールを守り、その中で結果を出す。社会に信用される人は必ずこの道を通っています。
人々が失敗を恐れるのは、何ヵ月、何年も積み上げてきた信用も、たった一つの過ちですべて崩れることがあるからです。当然法を犯せば一発です。「あの有名人があんなことしたなんて」。皆さんもニュースで何度も聞いたのではないでしょうか?
どんなに時代が進み、文明や文化が発達しても、この世界にはちょっと油断すれば一発アウトなトラップがあちこちにあります。「行住坐臥」。だからこそ、一日一日を大切にしなければならないのです。
そうやって日々を大切にして生きていくと、本当の失敗と思えるものは一生を台無しにしてしまうようなことで、それ以外はいくらでも修正可能なのだと気づきます。誰かが『死ぬこと以外、かすり傷』と言っていましたね。
そもそも何が失敗か、成功かなんて他人が後から考えることです。だからこそ、その場その場だけのミスで「自分はダメな人間だ」なんてレッテルを貼る必要もなく、ましてや自殺まで追い込むこともないのです。
どんなに絶望的な状況でも、生きてさえいれば何とかなります。取り返しの付かないことをしたとその時は思っても、後になってみれば自分にとって大切な思い出になるものです。
「笑い話に、時が変えるよ。心配いらないと、笑った」
ある歌の歌詞にありますが、本当にその通りだと思います。人に話したくないことを無理に言う必要もありませんが、隠す必要もありません。いつか自分の過去を肯定できるようになったら、それはその時は失敗でも今はプラスに変わっているのです。
だからこそ、他人のミスは笑っても、バカにしてはいけません。ましてや揚げ足とりのように攻め立てたり、怒ったりしては誰の得にもなりません。陰口や悪口もストレス解消になるかと思えば実はそんなになりません。
「明日は我が身」という先人達の言葉もあります。また、「反面教師」という言葉があるように、他人のミスから学ぶことはたくさんあります。この辺りが、自分の経験からしか学ばない人と他人や歴史・本などからも学べる人の成長の差になります。自分の過ちからしか学べないなら、寿命がいくらあっても足りません。
ところで、人生において失敗を無くす一番効果的な方法がありますが、皆さんはご存じですか?
それは「何もしない」ことです。
失敗の数が多い人はそれほど行動し、挑戦もしています。一度もフラれたことがない人は本当にモテる人か一度も告白したことがない人かのどれかでしょう。
だからこそ、一度も行動したことがない人や挑戦したことがない人が、失敗した人のことをバカにする権利はないのです。仕事においてもプライベートにおいてもそうですが、行動しなかった人間が行動している人に対し意見は述べられてもクレームをいう権利はどこにもありません。
とは言えミスの許されない場面やここぞという時の大事な場面もあるでしょう。ミスや予想外のハプニングに合わないために大切なポイントがあります。
それは、常に最悪なケースを想定することです。自動車教習などで聞いたことあると思いますが、「~だろう」で判断するのではなく、「~かもしれない」で行動することです。
ビジネスにおいても、ただ自分が考えた最高の案一つを押し通そうとするよりも、断られた場合も想定して代替案や妥協案を用意しておくことも、失敗を無くす方法です。将棋などでよく言う二手、三手先を読むことも大切です。
いろいろ言ってきましたが、失敗に対する考え方をまとめると次の通りです。
- 失敗と成功にとらわれず、まずは日々を大切に生きていくことが大事
- 生きていく上での本当の失敗なんてほんの僅か、大半は些細なもの
- 他人の失敗をバカにしてはいけない
- 常に最悪の事態を想定して行動する
失敗の対義語を「成功」とすることに違和感を感じています。
失敗がない=成功なのか?
「隣の芝生は青く見える」ように、他人の人生は良く見えるかもしれませんが、果たして比べる必要があるのでしょうか?
傷だらけの人生や凹凸の人生を恥じずに、最後に「良かった」と思える人生を送れるよう、日々を大切に生きていきたいものです。
