こんにちは、ムギです。
今回は「今こそ読みたい『君主論』」をテーマにお話しします。
ニッコロ・マキアヴェッリ著の『君主論』はダンテ著の『神曲』に並ぶイタリア文学の代表的作品です。時代はルネサンス期。外交官として見てきたイタリアとその周辺国家を通じ、次期”君主”となるロレンツォ・デ・メディチに「君主とはどうあるべきか」を綴った本です。
彼の考え方から、”マキアヴェリズム(Machiavellism)”という言葉が生まれました。意味は次の通りです。
- どんな手段でも、また、たとえ非道徳的行為であっても、結果として国家の利益を増進させるなら許されるとする考え
- 目的のために手段を選ばないやり方、権謀術数主義
これだけを見ると結果主義による冷酷な人物が書いた本と思われるかもしれません。
『君主論』は自己啓発として薦められていますが、同じ厳しい系の『孫子の兵法』や『7つの習慣』などと比べると不人気なようです。現代に合っていないと思われているのかもしれません。
しかし、マキアヴェッリの言葉には実体験から生じる生々しさ、鋭い観察眼、確かな分析があります。それらはその国・その時代だけのものではなく、現代にも通用します。なぜならば、彼は”人間”そのものを見ているからです。
「君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない」
このことは現代を見ても難しいですよね。そしてこの理想を実現できた人物がいかに立派な功績を残してきたか、そのためにはどうするか、何が必要か。それこそが、『君主論』の主題です。
これはまさしく今リーダー・長と呼ばれる任務・職に就いている人が共感でき、ぜひ学びたい本です。それではここから中身に入っていきます。
『君主論』は全部で26章ありますが、前半は『君主政体論』、そして後半こそが本題の『君主論』となります。
「君主政体論」はこれまでどんな君主がいて、どんな形で統治してきたかを分類しています。
例えば世襲により君主になったもの、戦争に勝って新しく統治することになった君主、民衆に選ばれた君主等・・・。統治の仕方はどのような法律を作るか、聖職者主体でいくか、軍備は自国で作るか外部に委託するかなど・・・
世界史を勉強した方なら15世紀のヨーロッパがまさしく動乱・混迷期であることがお分かり頂けるでしょう。君主、さらには政体の移り変わりも激しいです。それらを踏まえた上で、各政体のメリット・デメリットとアドバイス、事例を述べています。
その中で一番やっちゃいけないことをマキアヴェッリは述べています。それは、民衆の財産を奪うことと、極悪非道の方法で国を治めることです。
先程のマキアヴェリズムの意味でも言ったような「目的のためなら手段を選ばない」という意味を間違えてはいけないポイントがここにあります。君主たる者、”人として立派”でなければいけません。
それなら人道主義に基づいて行動すればいいじゃないか、と思う方もいるでしょう。なぜ「権謀術数主義」と言われているのでしょうか?
その理由はマキアヴェッリの人間観にあります。それは「君主も官僚も軍隊も聖職者も市民も、みな自己利益を追求するように行動する」と考えているからです。
だからこそ、君主たる者、なめられてはいけないし、怯えさせてもいけない、甘やかしてもいけないのです。それは国家の利益になりません。それは組織においても同様です。仕事ができるだけでは人は動かず、人望があるだけでは成果は出せません。
マキアヴェッリは国家を人体のように例え、「手当て」「荒療治」などの単語が出てきます。悪いところは早く治さないと取り返しがつかなくなってしまいます。それこそが「非道徳的行為であっても」の意味です。
会社でも、何か問題を起こした社員をそのままにしたり、やる気も成果も出さない社員に指導も注意もしないのは後々会社全体に不利益を被ります。上の立場である以上、厳しいことを言ったり、嫌な役回りをしなければならない時があります。
そして、健康的で長生きするためには体力も必要だし、習慣も大切です。国・組織で考えると、体力は金銭面や物資・軍備・人事など、習慣は政体・組織の仕組みやなどです。君主はそれを自分の体のように健全に保たねばなりません。当然自分の体だからといって好き勝手にするのも違いますね。
このように、マキアヴェッリの言葉をただ国のため・組織のためなら何しても良いと捉えたら誤りです。だからこそ、きちんと『君主論』を読んで欲しいのです。
次回の記事で、マキアヴェッリの言うように国を治める・組織をまとめるには何が必要かをお話ししましょう。
この記事が、皆さんがこれから求められる新しいリーダーには何が必要かを知るきっかけになったなら幸いです。

「マキアヴェッリの伝えたかった思い①」への1件のフィードバック