こんにちは、ムギです。
今回は「子供達に将来の夢を決めさせる必要はあるか」をテーマにお話しします。
これから先の未来がどうなるかも分からないのに、果たして子供達に「将来の夢」や「進路」を決めさせる意味はあるのでしょうか?僕は教育関係者でも研究者でもありませんが、自分なりに考えたことをお話しします。
「**君(ちゃん)は大きくなったら何になりたいの?」
子供はそれを聞いていろんな答えを返します。
「お医者さんになりたい」
「パティシエになりたい」
「野球選手になりたい」
「トリマーになりたい」
「YouTuberになりたい」
子供の夢は無限大です。自分は何にでもなれる。何かの才能がある。誰かの役に立てる。そんな尊大な好奇心と無垢な愛情を持って夢を語ります。
しかし、大人はそんなことは聞いてません。その子の適正は何なのか、将来の進路をしっかり考えているのかを聞いているのです。学校側は中学、高校、大学と上がるにつれ選択を狭め、まるでベルトコンベアに 載せられた製品のように企業へ自校ブランドとして出荷するのです。
こういう流れなので、子供は小さいときから進みたい道を早く一つに決めた者勝ちになります。自分の適正が分からず、やりたいことが特にない子はもっともオーソドックスなコースに流されます。専門型か普遍型に別れ、それぞれ就職するのです。
さて、専門型、普遍型になった青年は社会に出たら自己責任のもと一生を送ります。学校側は就職するための知識を9年の義務教育と3~7年の高等教育で教え、その子が卒業したら役目は終わります。ただし、肝心なのは「卒業してからの60年以上もの人生をどう生きるか」ではないでしょうか?謂わば保証期間が過ぎてからが本当の人生です。しかし、そのことは今の日本の教育で教わることはできません。
とはいえ以前の社会はこれでも充分でした。社会には社会に出てからのベルトコンベアがあり、何かをやらかすか自分で退職しない限りは定年まで働けます。その後はどうするかと言えば、定年退職した人には多くの退職金が支払われ、年金が給付され、家族や施設に介護されて死ぬまで過ごすのです。
これが従来の日本の人生設計です。終身雇用と年金制度や福祉で支えられていました。しかし、これは当に昔話になっています。それなのに現代の教育は昔とほとんど変わっていません(英語とプログラミング教育が増えたぐらいですかね)
専門型の青年も、普遍型の青年も、1~2年しか通用しない知識しか持ち合わせておらず、それがいずれ通用しなくなることも教わっていないので、必ずどこかで挫折します。「成績がいいからいい会社に入れる」のと「社会に出て活躍できる、仕事ができる」は違います。社会人からしてみれば当たり前のことですが、そのことを先生から教わった子供はいるでしょうか。皆さんももっと早く知っていればと思ったことはありませんか?
挫折したときにとるべき行動はそれぞれ違います
専門型
・その道の第1人者になるほどの技術と知識を得る(特化)
・その業種に近い業種にスライドする(移行)
普遍型
・何でもできるようにする(応用)
・誰にでもできることをする(汎用)
専門型だけどその業界では平均並み、もしくは平均以下なら普遍型に近しい。普遍型が応用しているうちに自分の得意分野を見つけて専門型になることもあります。
こうして見ると、一番将来が不安定なのは専門型を選んだ子です。
最近の「子供がなりたい職業」をチェックすると、変わりようが早いことに気が付きます。そして、この先もっと早くなることは想像に容易いです。技術革新、情報革新はものすごいスピードで進んでいます。子供達が社会人になるころ、その選んだ職業、会社がある保証はどこにもありません。一番怖いのは、子供のころから『コレになる』と決めて進路を進んだのに、その子が卒業し、社会人になるころにはもうオワコン業界だった、ということです。これはその子の責任でしょうか?
今のところ絶対的に需要がある「プログラマー」などは当分は大丈夫でしょうが、この先飽和状態になったら分かりません。大企業とて、社会の変化についていけないところは淘汰されてしまいます。
専門型でいくにせよ、普遍型を選ぶにせよ、【変化する】ということには免れられないのです。
自分の才能に全てを懸けるのは、よほどの着眼点と才能がないかぎり失敗します。謂わばギャンブルと同じです。そうならないためには、今どこに社会の波が来ているかが分かる先見性と安定性を見るマクロな視点、自分の他の可能性と適応性を見るキュビズムな視点が必要になってきます。
そうなったときに大事なのは、子供の段階で進路など将来の夢を決めて狭めさせるよりも、方向性を考えさせ、その道の歩き方を教えてあげることではないでしょうか。
「お金持ちになりたい」
「有名人になりたい」
「お嫁さんになりたい」
「ヒーローになりたい」
「偉い人になりたい」
子供のころ、大人たちが笑っていたこんなことの方が、よっぽど将来的に思えてくるのです。
謂わば昔の女学校や、福澤諭吉の私塾のような学校があってもいいのではないでしょうか?これらに共通するのは「何になりたい」ではなく『何者になりたい』かです。
今はこういったことをYouTubeをはじめ、オンラインサロンなどがこの役割を果たしています。しかし、学校という”場”でこそ学べることも多くあります。社会を知らない子供達にとって、友達はかけがえのない存在であり、先生は親の次に影響を与える大人なのです。
「手に職」のような専門的な学校や、この職業になりたいならこういう進路というものではなく、”価値観”による細分化した学校がこれから必要だと僕は思うのです。そういう教育ができるように今の大人達は社会、政治に関わっていくべきではないでしょうか?
「あなたの将来の夢、進路希望を書いてください」
こんなことを言ったらかつての先生に怒られると思いますが、この質問をされたら何を書いたっていいのです。”空欄”でもいいのです。だって、そうでしょう。今のあなたの可能性がこれだけのマスで書ききれるわけないのですから。
「職をあなたが選ぶ」時代は終わりました。
これからは「あなたが職になる」のです。どこどこ学校の卒業生でもどこどこ社にいた人でもありません。
あなたがブランドであり、あなたにこそ「価値」があるのだから
